大学生日記

タイトル通りです。文章力ないですが、読んでいただけると嬉しいです。

猫が死んだ話

 やっと自分の中で消化できたので、このほとんど人が来ないクソブログに書く。猫が死んだ。それも約一年前の話だ。ハナちゃんという猫だがオスである。正直あまりかわいくない。顔はどっちかというとブサイクだ。目が半開きでやる気のない感じが余計にそう思わせる。(えさのときだけやる気を出して目を真ん丸にする。そのときはかわいい)それに臭い。まぁでも猫ってブサイクだろう臭かろうが一緒に住んでたらかわいいよね。猫好き、ペットを飼っている人ならわかると思う。

 

 そんなハナちゃんだが、もともと保健所に殺処分されかけていた猫だった。結構ギリギリでもう少し遅れていたら、彼の兄弟ともどもガスで殺処分されていただろう。一時は彼も兄弟とともに譲渡先の家庭に向かい入れられたが、諸事情で出戻りしてきた猫。いろいろあったが、そこから10年くらいの付き合いだった。家族同然の存在として仲良くしていた。犬猫みたいな畜生を家族同然?と思う方もおられるだろうが、僕にとっては家族であり、大切な友人、実家の風景の一部だった。 

 

 そんな彼が去年の春頃から体調を崩し始める。最初は餌を食べなくなり、体重がどんどん減っていった。病院に行くと口内炎ができており、食事がうまくできないそう。そこから点滴などいろいろ対策を講じたが、どんどんやせ細り、どんどん元気がなくなっていった。

 

 最後にあったのは去年の夏。実家に帰省した時だった。そのときも相変わらずの顔と匂い、態度を覚えている。ぶすっとした顔と臭いにおい、ぼーっとしていてエサ以外で愛嬌を振る舞うこともない。前からいつもそんな感じだが、夜遅くに帰るとのそーっとこちらを除いてきて挨拶をしたものだ。

 

 帰省も終わり、東京に帰るとき最後声をかけた。身体もハリがなくなっていることがわかるほど不自然な柔らかさがあり、正直次帰る時まで生きているのだろうかと心配になるほどだった。

 

 それから秋が過ぎ、冬も本格化してきた12月の初め。ハナちゃんが死んだ。僕はたまたま大学図書館の本紹介イベントの前で、とても緊張していた。その時動物関係の本を紹介していたが、何とか涙を流さず頑張って発表した自分をほめたい。

 

 家に帰り母親に電話をした。実家では母と妹が協力して看病をしていた。点滴なども積極的におこなっていたが、もう体力の限界だったのかもしれない。死因は猫エイズから派生していろいろあったっぽい。子猫の時から保護してイエ猫として飼っていたため、エイズはないだろうと検査をせず油断していたと母は言っていた。かなり後悔していた様子だった。でも母は悪くない。悪いとすれば誰も気づけず、そのままにしていた僕たちだ。最後は帰宅した父が見つけた。誰もいない中亡くなった彼は優しいところがあり、私たちに心配させないよう死んでいったと母は言っていた。

 

 電話口で話を聞きながら声をあげて泣いてしまった。声をあげて泣くなんてもう何年振りなのだろうか。話すこともままならず、情けなく泣いてしまった。この日から4度目くらいまで母と電話するとき涙があふれまともに会話できない状態だった自分が情けない。

 

 自分でも少し考える。所詮猫じゃないかと。確かにそうかもしれない。向こうと意思疎通が取れていたわけでもないし、こちらの自己満足ばかりだったかもしれない。でも違うんだ。僕にとってはただ猫が死んだだけではない。父に叱られた後、しくしく泣いていた僕のそばにそっと寄ってきてじっとしていた彼。浪人中、どうしようもなく辛かった時、普段は寄ってこないのにそういうときだけ近づいてくる彼。まぁ偶然かもしれない。でも僕にとってはそれが事実だ。

 

 それに彼がなくなったことで失われたのは猫一匹だけじゃない。僕にとっての思い出、実家の風景、そういったものが吹き飛んだのだ。実家に帰ればソファーに座るハナちゃんがいる。そんな彼をネタに家族で会話をする。そんな日常がもう戻ってこない。僕にとって故郷が少し消えていった、消失していったといってもいい。別に彼がいなくても実家は存在する。母がいて父がいて妹がいる。他の猫だっている。でもぽっかりと穴が開いた。その穴を埋めるのははっきり言って不可能で、とてもつらい。

 

 僕は死後の世界や幽霊も信じない。でも10年以上前かな?動物専門の火葬場の人が言うにはペットは飼い主が死んだときに三途の川なのか知らないが、囲碁の世界から向かいに来てくれるそう。本当にそうか?と疑いたくなるし、正直信じることはできない。でも、もし本当にそうなら、とても幸せなことだなと思う。できることならもう一度死んでいった猫たちと会いたい。

 

 こんなクソブログを書きながら克服したと思っていたが、思い出すたびに涙目になってしまう。所詮猫の話なのにね。ちなみに現在進行形で軽いペットロスで、一時期猫の動画だけでどんよりしていたが、今は微妙な気持ちになるくらい回復している。

 

 母と話したことがある。ハナちゃんが死んでから少し経ったとき電話をした。もう猫はいいかなって。今飼ってる子がいなくなったらもうとうぶんいいかなと。正直気持ちはすごくわかる。一匹一匹の死が重いのだ。母がそう思うのも仕方がない。正直僕ももうペットはいい。社会人になったら大きい家に動物を飼いたいと漠然とした夢を持っていたが1人がいい。

 

 僕個人の死生観というか、大切な存在に対する感覚が変わった。自分が大切だと思える存在を増やすのはきつい。失う気持ちがとてもつらいのだ。友達1人、家族1人いなくなるたびに乗り越えられるかわからないほどの大きな悲しみ、後悔が襲ってくる。世間一般からすると猫でそんなに?と思われるかもしれない。でもこれに耐えられるほど僕は強くない。

 

 あと数カ月で社会人となり、これから新しい出会いもあるだろう。当然新しい友達、恋愛関係になるパートナーもできるかもしれない。そんな人たちと絶対的に不可避な別れをむかえるために付き合えるのか。じぶんにもわからない。でもこのまますすむしかないのかなぁ...

 

 

妊婦さんに席を譲ったがモヤモヤした話

 電車で帰るとき座れないのは嫌なので、わざわざ始発駅まで10分かけて歩いた。たった10分歩くだけなのだが、あばら骨を骨折しているので結構大変だった。
 まぁちょっと頑張ったこともあり、ドアのすぐ側に座ることができた。始発駅だがあまり人はいない。でも次の駅からたくさんの人が乗ってきた。そこに現れた夫婦が俺の精神を乱してきた。奥さんの方はぱっとみただけでわかるほど腹が膨らんでいた。妊婦さんだ。普段なら席を譲るが、今回は勘弁してほしいと心の中で謝った。
 席を譲る譲らないの話なんてすぐ終わると思っていたが、意外なことにそうはいかなかった。俺の隣の席が空いていたからだ。例の夫婦が乗ってきたのと同時にたくさんの人が乗ってきた。そのため、満員電車とも言って良い混雑具合だった。にもかかわらず席は空いている。俺がキモいからか?俺の体臭のせいか?なんて終わった考えが頭によぎったが、隣を見るとおっさんが座っており、ポーチみたいなものが垂れていた。そのポーチが席の20-30%くらいを占領しており、そのせいで誰も座らないんだなと頑張って信じた。
 その席は頑張れば妊婦さん一人くらい普通に座れる。でも彼女は座らない。それをしないのは個人の自由だから別にいいんだ。でもその電車に乗っている他の乗客と目がある。その目は俺が立って譲れよと言っているようだった。前をちらっと見ると旦那さんとも目があった。こっちもそうなのか?俺に譲れって言ってるのか?そう思う俺は病気なのだろうか。被害妄想が極まるとこうなるのか?いや、違うだろう。俺は見てくれも良くないデブだ。そんなやつが妊婦さんに席を譲らず堂々と座るのはおかしいくらい理解している。だからいろんな人と目があったんだろう。でも俺だってこの席、楽して確保したわけじゃない。あばらが痛い中頑張って駅まで歩いた。でも俺はマタニティーマークならぬ、骨折れてますよマークなんてない。それをわかってほしいなんて察して君すぎて気持ち悪いことも理解している。でも釈然としないのだ。この骨折、やりたくてしたわけじゃない。でも妊婦さんの方はどうだ?ある程度日常生活に支障が出るとわかって子どもを作ったんだろう?ならいいじゃないか、我慢してくれと終わった考えが頭を駆け巡った。相変わらず周りの人と目が合う。だからなのか冬なのに汗が止まらない。もう限界だった。席を立って電車を乗り換えた。すると前にいた妊婦さんは俺が座っていたところに驚くスピードで座った。やっぱりモヤモヤする。でも仕方がないことだ。仕方ないんだ。
 その後は電車を乗り換えて家に帰った。その日から数日は最悪の気分だった。妊婦さんに対する終わった思考がぽっと出てきたことも気持ち悪かったし、当たり前だが俺って優しくされないんだなとも思った。
 どうすればよかったんだろう。タイムマシンに乗って骨折を防ぐのが正解なのは間違えないが、他にどうすればよかったのかわからない。でもわかったことがある。終わった考えが頭によぎるくらい、俺は終わった存在なのだなと。社会的に死んでいるとかそういうことではない。精神が腐りきって、昔の俺なら殴りに来てたくらい嫌いな人間になってしまったということだ。妊婦さんは俺に一言も席を譲れと言ってない。俺の深読みかもしれない。ただそれだけなのに、彼女や旦那さんに対して勝手に悪いイメージを抱いてしまった。俺って疲れてんのかな。特に何か疲れることをしたわけでもないのにどうしてこうなった。